東京高等裁判所 昭和28年(う)2493号 判決
被告人 堀内一男 外
〔抄 録〕
検察官第二点及び被告人堀内の弁護人甲の論旨第一点について。
被告人堀内に対する窃盗の公訴事実は前記のとおり(一)の(イ)(ロ)及び(二)の(イ)(ロ)(ハ)というように数項に別けて記載してあるが、同時に同一場所における犯行で本来一個の窃盗行為を起訴したもので、結局被告人堀内が昭和二十七年十月二十五日荒井ゆき子方から同人の保管している双人繻子生地十四反を窃取したというに帰するのであるが、原審はその中被告人堀内の所有に係る六反分のみの窃盗行為を有罪と認め、同被告人の所有でない繻子生地については窃盗罪を構成しないとし、その理由として「被告人堀内は他人の所有物を窃取する如き意思は毫もなく、前述宮下儀行外二名の所有物の所持を侵害したのは他人の物を自己の物と誤信したもので即ち物体に関する錯誤というべく窃盗の犯意を阻却するものと断ぜさるを得ない」というのである。しかしながら自己の財物といえども他人の占有に属するときは窃盗罪の成否に関しては他人の財物と看做されるのであり(刑法第二四二条参照)苟も荒井ゆき子が適法に占有所持している本件繻子生地を被告人堀内が自己の物と誤認したからといつて、それだけでは荒井ゆき子の所持を侵害しても許されるわけがなく、窃盗罪の犯意を阻却するものとはいえない。況んや原判決は被告人堀内が同被告人の所有物を荒井ゆき子方から持ち出した所為について窃盗罪の成立を認め、弁護人の犯意が阻却される旨の主張を排斥しているのである。してみれば原判決は窃盗罪の成否に関する判断が前後矛盾し、理由にくいちがいがあるものといわなければならない。よつて検察官の論旨は理由があるというべきである。しかしなお飜つて按ずるに「窃取」というのは他人の所持を侵害するのみでは足らず、不法領得の意思が必要であることはいうまでもない。而して記録を精査するに被告人は宮下儀行等に自己の原料糸を委託して織物に加工させていたところ、その料金支払に関し予て紛争を生じていたのであるが、昭和二十五年十月二十五日被告人堀内は相被告人松沢福島と共に宮下儀行方に行き、事態の解決をはかろうとしたが、従前から荒井ゆき子方に被告人に引渡すべき製品生地が保管してあることを知つていたので、宮下方へ出かける途中荒井方に立ち寄り、同家八畳の間から繻子生地を持ち出し、自動車に運び込んだ事実は認め得るのであり、被告人が何故宮下儀行との折衝を持たず、しかも荒井ゆき子の制止を顧みずこのような措置をとつたかについて「宮下儀行方で交渉の上解決さえすれば織物を引渡して貰えるのであるから、事前に引渡を受けておいたらよいと思つた旨の弁解は首肯し難いところである。しかしそれはそれとして被告人堀内が繻子生地を荒井方から搬出したのも宮下儀行等との交渉が遷延するにつれて、製品の販売時期を逸し多額の損失を招くに至ることを恐れ紛争解決に焦慮する余り、冷静な判断を欠き本件の如き粗暴な行動に及んだものと認められるのであるが、被告人は右織物生地を自動車に積み、宮下儀行方に運んだだけで他に特売して金融に便ずるとかその他不法領得の意図に出たと認められる明確な資料がないのみならず、反対に被告人が宮下儀行方での交渉の末漸く妥結の見込がつき、自宅へ引き返す時、雇人宮下藤男に荒井方から持ち出した前記生地を再び荒井方へ返還して置くよう命じた事実さえも認められる。もちろん不法領得の意思は永久に権利者を排除することを要するわけでなく一時的であつてもよいのである。それ故本件に於ては被告人に不法領得の意思が無かつたとは断じ得ないまでも、前記の事情を併せ考えるとき、他に特段の事情がない限り被告人堀内には不法領得の意思がなく唯だ焦慮の余り事態解決の上で引渡を受けようとする冷静な行動をとり得なかつたとも認められないわけではない。原審はこの点公訴事実の一部たる繻子生地六反についての窃盗罪の成立を認めたのは事実を誤認したか或は未だ特段の事情の認め難い本件について不法領得の意図あるか否かにつき審理を尽さずして判決に未だ十分なる理由を附さなかつたものというべきで弁護人の論旨も理由がある。